ヒーリング・セイバーを使うときに沸き起こってくるかもしれない問いに答えてみました。ご参考になれば幸いです。
〈注意〉
作者は心理カウンセラーではありません。作者の個人的見解を論じているだけですのでご了承くださいませ。以下の回答をお読みになってご気分を害される方がまったくないとは限りません。しかし、お役に立てていただける方にはお役に立てていただけるものと信じております。なお、現時点(2005.9.)では下記の問答はすべて想定問答(自作自演)です。
Q:自分を大切にしたり、自信を持つ必要があるというのは頭では理解できるのですが、何だか自己中心的で利己的な人間になっていきそうでこわいのです。
A:ここではちょっと変わった答えをしてみます。自己中心的で利己的な人間になってしまって、いいのです。ただ、それを徹底的に極めてください。というのも、徹底的に自己中心性を追求して生きれば、最後には利他的な態度にならざるを得ないのです。あなたは多分、「利他的な人間でありたい」と思っていらっしゃるのでしょう。その気持ちの中には、「利他的に振る舞った方が、自分を好きになってもらえるだろう」という利己的な気持ちがまったくないと言いきれるでしょうか? 利己的に振る舞っていれば、確かに人に嫌われてしまいます。嫌われると色んなことをするのにも支障が出てきますから、嫌われないようにするのが自分のため(=自分の利益)というものです。このように、みんなが利己性を究極まで押し進めれば、とっても利他的な世界になるわけで、ぜひそうするべきです。これは、『
利己的な遺伝子
』理論を唱えたリチャード・ドーキンス博士が来日時に講演会で言っていたことです。類似のことがらを表しているものに、「情けは人のためならず」ということわざがあります。これは後半が省略されており、完全形は「情けは人のためならず、めぐりめぐって己がため」です。いずれは自分にかえってくるのだから、人のためというよりも自分のためと思って、人には情けをかけよ、という意味です。「自分にかえってくる」のは、純粋に精神的な喜びだけであるかもしれませんが。大切なのは、このことをしっかりと意識していることだと思います。つまり、「他者のために生きる」というのは、結局はそれが自分のためになるのでなければウソであること、自分を大切にできないのならば、利他的に生きても意味はないことを、はっきり意識することです。
Q:自分のために利己的に生きるよりも、他者のために利他的に生きる方が優れているのではないでしょうか。
A:他者のために生きる利他的な生き方に意味があるのは、それによってあなた自身が本当に幸せを感じられる場合に限られます。利他的に生きる見返りに、お金をもらったり、自分を好きになってもらったり、いつか自分にも同じように親切にしてもらったり、周囲に尊敬してもらえたり、いい人だと思ってもらえたり……といったことが一切なかったとしても、ただ純粋に自分の中の精神的喜びを報酬とすることができるのならば、それは意味がある生き方だと言えます。ただこの場合にも、「純粋に自分の中の精神的喜び」を得るという「利己性」があります。
逆に言えば、他者に尽くしても何の見返りもなく、精神的満足さえも感じられないのならば、それはいい生き方でもなんでもなく、単に自己の判断力を停止させて他者に委ねてしまうという怠慢な態度に過ぎないことになるのではないでしょうか。ところで「他者のために生きる」の「他者」とは一体誰ですか。ご家族などの身内ですか、それとも何かの宗教の教祖ですか。自分以外の全員ですか。ある人が「こうする方がみんなのためだ」と言い、別の人が「いや、そうしない方がみんなのためだ」と言ったら、どちらを選べばいいですか。
ある人に「お前なんかいない方がみんなのためだ」と言われたら、「みんなのために」死んであげて、あなたが今後、永久に誰の役にも立てない状態になってしまう方が優れた生き方ですか。そもそも生まれなければ、それだけ他者の空気や食料を使わずにすむから利他的ですか。
利他的かどうかではない、もっと別な考え方がありそうですね。
Q:自分に価値があるとはどうしても思えません。
A:ご自分で価値があると思えるかどうかにかかわりなく、あなたには価値があるのです。そもそも、価値があるとかないとかを、誰が決めるのですか? あなたはご自分には価値がないと決めていらっしゃいますが、いったい、ご自分をも含めた個人の存在の価値を決めることができる権限を、いつ、誰に与えられたというのですか? あなたには価値がないけれども、別の人には価値があると思われるのですか。もしそうなら、人の価値は平等ではなく上下があると考えていることになりますが、それでいいですか。現在、この世には、「あなたが存在する世界」が実現しています。あなたは、この「あなたが存在する世界」を成立させるという、重要な役割を担っています。もしあなたがいなければ、「あなたが存在する世界」はなくなってしまうのです。ですから、この「あなたが存在する世界」において、あなたは欠くことのできない一部分を形成しているという価値を持っています。
Q:そんな詭弁のようなことを言われても納得できません。
A:あなたは「自分には価値がないから生きている意味はない」と考えておいでなのではないでしょうか。本当をいうと、あなたや私を含めた存在するものすべての意味や価値は、実は、ないといえば、ないのかもしれません。ただ存在している。それだけです。そこに意味や価値を見いだそうとしているのは、人間の方です。というのも、人間には、自分に関わるものごとに意味や価値があるはずだと思いたがる、強い傾向があるからです。それで、価値がなかったとしたらどうだというのでしょうか。価値がなかったらいけませんか? それよりも、もっとずっと大切なことがあります。それは、
あなた自身が幸せであることです。本当に心から幸せを感じることができれば、この世にもご自分にも、価値を見いだすことがおできになることでしょう。
Q:人に愛されたら幸せを感じられると思います。でも私のことを本当に愛してくれる人などひとりもいません。それで、私は幸せではありません。
A:こんな風に想像してみてください。もしかしたら、誰かが実はあなたのことを深く愛しているのだけれど、その人はとても遠慮深いので、そのことをおくびにも出さないでいるのかもしれない……。どうですか、これで幸せになれましたか?……あまりなれませんね。「もしそうなら、遠慮なんかしないで言いに来て欲しい、そうすれば、自分には誰かに愛される価値があるのだということがわかり、自分自身を好きになれるから」……こんな気がするのではないでしょうか。人に愛されるかどうかが、自分の価値を決める基準になってしまっています。でもよく考えると、愛されると幸せだというのは、そのように自分を愛してくれる相手をも愛することができるから、という気持ちもないでしょうか。とすると、「愛されるのは、愛することができるから幸せだ」ということになり、その「愛することができるから幸せだ」というのは、愛すること自体が「快」だからではないでしょうか。自分のまわりがキライなものや人ばかりだったら不快ですが、自分の好きなものや人に囲まれていれば幸せです。愛されることよりも、愛することのできる方が、快なのです。だったら、愛されることばかりを追い求めるよりも、愛することを学んだ方が、幸せへの近道ではないですか。よろしければ、新潮文庫のヘルマン・ヘッセ作『
メルヒェン
』の中の「アウグスツス」をお読みになってみてください。
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